心葉 kokoloha

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2013年 04月 04日

お産は生き方そのもの

4年前の洸平のお産の時、生み終えた安堵感と疲れでぐったりとしていて、胎盤がいつ出たのか、産後助産師さんがどのようなケアをしてくれていたのか、ほとんど覚えていない。
だから今回は、子どもを生むことよりも、その後の事の方が心配だった。
医療に頼らず、家族だけで挑んだ今回のお産。全てが終わるまでは疲れを感じる暇はなかった。
晴の命と自分の命を失わないよう、常に意識はしっかりしていた。
きっとそれは俊三も同じだったと思う。

いのち。
今の時代、私たち人間は日々の暮らしの中でいのちを失うかもしれない恐怖を感じることはほとんどない。
でも、自然界は生と死が常に隣り合わせの世界。
喰うか喰われるか、育つか枯れるか・・・
野生の動植物は常にその世界で生きている。
自然界から離れれば離れる程、生と死を感じることが難しくなってくる。

食べ物も過ごし方も、自然界から離れすぎてしまった人間。
その中で、いのちを生み育てることだけは、他の動植物と同じように今も変わらず営まれている。
でもそれすらも、医療に任せ、薬や機械に管理され、自然の営みから離れてしまっている気がする。

「いのちのために、いのちをかけよ」

以前、屋久島に公演に来てくださった、吉村医院(愛知県の産婦人科)の吉村先生の言葉がすっと胸に落ちた。

お腹に子どもが宿り、生まれ、胎盤が出て、おっぱいをあげ、育てる。
その全てがお産であり、その全てができて初めて、ヒトは生きることができる。
お産とは正にいのちがけ。
医療に頼らず自力でお産することで、生と死と向き合い、いのちの神秘や尊さを感じることができる。
いのちのために、いのちをかける、お産。
お産とは生き方そのものなんだと思う。

お産を通して自らの生き方を振り返ると、普段の生活の甘さがよく見えてきた。

検診で常に言われていた貧血。ヘモグロビンの数値の低さ。
でも、普段の生活で支障をきたす程の自覚症状がないため、さほど気にも止めず、処方されていた鉄剤は一度も服用しなかった。
普段の食事で何とかなると思っていた。

でも、実際蓋を開けてみると、胎盤が出た後出血が止まらなかったり、産後立ちくらみが頻繁に起こるようになったりと、貧血による症状が出てしまった。
症状が起きてから食事で何とかしようと思ってもなかなか改善されるものではない。

日頃、食材や調味料、調理方法にはこだわっていたけれど、ほとんど噛まずに食べていたり、食べ過ぎていたり、甘いものを我慢できなかったりと、貧血を招くような食生活をしてしまっている。
その結果が今回のお産なのだろう。
いや、洸平のお産でもきっとその症状は出ていたけれど、助産師さんに任せっきりだったために気が付かなかっただけだと思う。

お産には、生き方が現れる。
自然に反した生き方をしていれば、お産も自然にはいかない。
その結果、医療に頼ることになってしまう。

親は、お産を通して生き方を問われている。

今、晴と私のいのちがあることに感謝すると共に、より自然に寄り添った暮らしを心がけていきたいと思わされるお産となった。

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by wazofamily | 2013-04-04 15:25 | お産


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